私たちは研究室からお休みを頂き、約一週間の旅行を楽しんできました!
旅程を大まかに説明すると
リマ→クスコ→オリャンタイタンボ→マチュピチュ村&マチュピチュの遺跡→クスコ→プーノ(ティティカカ湖)→ラパス
という流れになります。
プーノまでがペルーで、その後国境を越えてボリビアのラパスに入りました。
チリ組の各自が印象に残ったところをブログに書こう!ということになりましたので、私はオリャンタイタンボについて書こうと思います!
■インカとオリャンタイタンボの話
今回の旅行のメインはマチュピチュであり、マチュピチュはインカの遺跡なのですが
「あれ?インカってどんな文明だっけ?」と自分の知識の乏しさに気付いた私。
『インカ帝国探検記―ある文化の滅亡の歴史』という本をkindleでポチり、付け焼刃の知識を頼りに旅行へ出発したのでした。でも読んどいで良かった。オススメです
クスコという都市の近郊からマチュピチュまでは電車が走っており、その途中にオリャンタイタンボという村と、同名の遺跡があります。
クスコはかつてのインカの都でしたが、スペイン人によって占領されてしまいます。クスコを逃れたインカの軍隊が立てこもったのがオリャンタイタンボでした。
ここでは地の利もありスペイン人を撃退したのですが、スペイン人の再攻撃を受ける前にインカの人々はここを放棄し、さらに山奥に逃れたとのことです。
そんな経緯を知り、とても楽しみにしていたオリャンタイタンボの遺跡。
タンボとは宿場の意味だとのいうことですが、砦や宗教施設の役割も持っていたと言われているそうです。
ただ宿場を作るだけなら平地に作ればよいはずであり、山の上に作ったということはやはりそういった役割も重視していたのではと思わせます。
遺跡は駅から村の広場までの途中にありました。
段々畑らしき構造物が正面に見えます。でかい!
しかしここで、(他の遺跡との周遊入場券とはいえ)、入場料が70ソル(約2800円!!)すると判明。
なかなか強気のお値段ですが…これを逃したらたぶん二度と来られないでしょう。寄付をしたと思って入場券を買いました。
コの字形になっていて、左右はせり出した崖、正面には段々畑が15段ほど続き、その上はさらに数段、砦のようなつくりになっています。
スペイン人により破壊されてしまったのが残念ですが、それでも倉庫のような建物や壁がところどころ残っており、剃刀の刃も通さないと言われるインカの石積みも見ることができます。
息を切らしながら段々畑の上まで来ました。巨大な石が6個も並んでいます。恐らく神殿の跡とのことで、ガイドブックやネットの情報によると高さ4m、重さは50~80トンだそうです。大阪城で重さ100トン以上と言われる石を見たことがありますが、ここの石もなかなかすごい。何よりどうやって段々畑の上まで運んできたのでしょうか…
良く見るとさらに上があります…
壮大な遺跡でした。これほどの砦を放棄したなんてもったいないという気がしてしまいます。
マチュピチュと違って観光客は少ないためどこかもの寂しいです。
歴史上、インカは長らくクスコ周辺にとどまる勢力でしたが、15世紀頃、戦争や巧みな外交により急速に支配地域を拡大して南北アメリカ大陸随一の帝国となったそうです。そして、インカが最盛期を迎えた時にスペイン人の侵入が始まったということです。盛者必衰の理をしみじみと感じました。
歴史上、インカは長らくクスコ周辺にとどまる勢力でしたが、15世紀頃、戦争や巧みな外交により急速に支配地域を拡大して南北アメリカ大陸随一の帝国となったそうです。そして、インカが最盛期を迎えた時にスペイン人の侵入が始まったということです。盛者必衰の理をしみじみと感じました。
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