2014年8月30日土曜日

ペルーボリビア旅行!(オリャンタイタンボ編2)

魚をさばける女を目指しています。マヨネーズです。
今日はKeegoの書いてくれた記事に引き続いてオリャンタイタンボの紹介をしたいと思います。


オリャンタイタンボの過ごし方。

オリャンタイタンボの概要はKeego記事に任せますが…
オリャンタイタンボといえば遺跡。しかし入場料(他の遺跡との周遊入場券)は70ソル(約2800円)…
ペルーレイルにお財布が大ダメージを受けている中、なにかないかと考えていました。
偶然、ペルーレイルで向かいの席になったお姉さん(Vistadomeは他人とボックス席に座ります。)に無料で入れる遺跡があると聞き、向かいました。

他にも、レストランがたくさん(観光客向けで高いですが、味は悪くない。ピザが多い)と、お土産物屋さん(ちょっと高め)、地元向けの市場などがあります。オリャンタイタンボはクスコよりも標高が低いので、私はこのこじんまりとした町に高山病に備えて一泊しておいてよかったと思っています。

Pinkutkkunaについて。

私の紹介したい場所、その名は、Pinkutkkuna。
アルマス広場から2ブロックほど歩いた小道から、まるで一軒の家のように見える入口を入ると険しい道が上まで連なっています。
一瞬入り口とは思えない


私は道の険しさ(柵や手すりもない)に恐れをなしあまり上まで行きませんでしたが、


遺跡を臨む景色

2014年8月27日水曜日

ペルーボリビア旅行!(アレキパ編)

車の運転の仕方を忘れました。マヨネーズです。
今日はアレキパについて書きたいと思います。

チリからアレキパまでの移動について。

アレキパは、ペルーの中でチリに割と近い町です。
チリのアリカから、バスで国境を越えて、タクナという街からさらにバスに乗り、到着します。アリカからタクナまで3時間くらい(国境越えによって前後)、タクナからアレキパは6時間くらいの移動です。金額は大体2000円くらいです。
アリカからバスはその場でバスに(結構出ています。コレクティーボもたくさん。)、タクナからはFlores社のバスを使いました。そこまで道も悪くないので、寝ていればすぐにつきました。
国境越えもバスに乗って指示に従えば問題ありませんでした。
あと、バスからの光景がなかなか綺麗でした、砂漠地帯なのですが夕暮れ時などはかなりの絶景でした。


バスからの風景



注意事項

・ どちらのルートも、バスチケット購入前にバスターミナルの使用料を払っておく必要があるので注意です!Boleteriaがあります。これに関する説明をスペイン語でされて(説明さえない時も!)困りました。
・ 渡される入国の書類は絶対なくしてはいけないです。出国に必要です。
・ 時差があります。
・ アレキパでバスターミナルから乗ったタクシーのおじさまは、目的地ちゃんといったのに、お勧めのホテルに連れて行っていろんなことをおっしゃってました。でも結局ちゃんと言った通り5ソルで連れて行ってくれましたが…タクシーは本当にちゃんと目的地と値段、確認したほうがいいです。


アレキパについて。

さて、本編。
アレキパは世界遺産に登録されている街で、白塗りの壁が有名です。特にアルマス広場周辺はすごく綺麗!


夜のアルマス広場

2014年8月23日土曜日

ペルーボリビア旅行!(アリカ編)

トマトの緑のぐちゅぐちゅが食べられません。マヨネーズです。
今日はアリカという街について書きます。


アリカとは。


チリは南北に細長いので、国内移動でもかなりの距離があります。
私は、ペルーに行くにあたって、国内便の安さに目をつけ、私はチリ最北端の空港であるアリカの空港を使うことにしました。


砂漠の中にぽつんとある空港。砂漠の中を走ると、ふと海が現れます。
さらに走ると、突如見えてくる街。アリカは砂漠と海に囲まれた、日本からしてみれば不思議な街です。
街は砂漠と海に四方を囲まれる

この街に入って目に付くのは大きな要塞と呼ばれる丘。(うまく写真が取れませんでしたが、抜群の迫力です。)

要塞寄りには港や、商店の立ち並ぶ通りがあります。この通りには歩き方に乗っているレストランから地元向けのかなり安い商店まで様々。


海まわりには商店が並んでいます。あまり大きな店もなく、数店が並んでいる程度ですが、おいしいものが食べられます。

どこの店もうっているセビーチェ。おいしい!

2014年8月19日火曜日

研究室紹介:CLC泌尿器

つけ麺よりラーメン派ですが、どちらも恋しいです。マヨネーズです。
旅行の紹介の流れをぶったぎって、今日は研究室の紹介をしようと思います。

私はCLCの泌尿器の研究室で、前立腺癌のマーカー、PSAに関して研究をしています。
具体的には、PSAをコードする遺伝子の変異に関する内容です。

ポパイによるCLC紹介の記事がありましたが、私の研究室は他の二人と同様、こんな建物の中にあります。
元は民家


CLC組は、担当教官と実験内容が違うだけで、基本的には一緒に行動します。使う実験室や実験の器具も共通です。これがチリ大との大きな違いです。
これにはメリットとデメリットも感じています。
CLCのメリット:安心感があり、地域的にも安全。困った時の対応が楽。
CLCのデメリット:日本語を使う機会が多い(留学感がうすい)。

今回の私のテーマは、6人の派遣生の中でも理解しやすく手技も少ないテーマです。手技はDNA抽出とPCRだけで、サンプル数が多いものの繰り返すだけでよく、かなり簡単です。例年の先輩方の内容よりも手技が少ない気がしています。実験終了後に、得られた結果から他の小さなテーマで実験が行えないかな、と思っています。いまのテーマは、PCRしたサンプルを外注でシークエンスして、その結果を考察する、という内容です。
もともと、CLCのラボはCLCで得られたサンプルからDNAを抽出しPCRまでは行い、染色やシークエンシングは外注で行う、という形だったそうです。今は染色などは行える設備があり、他の2人は染色を毎日行っています(あとで紹介があると思います)。しかし生物実験や細胞培養をできる設備はありません。チリ大は研究室によってはあると聞いているので、これはCLCとの大きな違いだと思います。後輩には是非、渡航前にこのことを知っておいてほしいと思います。

ペルーボリビア旅行 LIMA



こんにちは、パスカルです。

なんとか14日のプレゼンも終わり、ほっと一息。

今更感も否めないですが、7月後半にいった旅行のお話を書きたいと思います(^^)

本当にいろんなところに行って、1投稿だけではむり!ということでみんなで分担しています。笑 というわけで私はリマについて書きます。

リマは ペルー共和国の首都並びに政治、文化、金融、商業、工業の中心地である。人口約800万人で同共和国最大(by wikipedia)だそうです。私たちの旅の最初の目的地でもありました。海外から飛行機でマチュピチュ、クスコなどに行こうと思うと必ず中継する都市だと思います。

42の行政区分に分かれており、首都であるだけに様々な階層の人々が住んでいるようですが、今回の旅行では高級地区であるSan Isidoro区とMilaflores区のみを訪れました。

空港で米ドルをペルーの通貨、Nuevo solに変え、迎えをお願いしていたタクシーに乗りホテルへ。リマは海に面した都市なので高速の一部は海に張り出していて、気持ちよかったです。海っていいですよね。笑 ホテルについて一息ついて、ホテルの方にお勧めを聞いて近くのビュッフェランチへ。後から判明したのですが、このレストラン、地元の超高級レストランだったらしいですww ちなみにSan Isidoro区です。
レストランの名前はVIVALDI 見た目からしておしゃれ♪


ランチビュッフェで約25ドルくらいだったのですが(確かに高い)とっっっってもおいしかったです!ビュッフェだから食べ放題だし、このお値段でこのクオリティが食べられるのなら、とみんな大満足。

ちなみにペルーのお昼の時間は普通に12時くらいでした。やっぱりチリおかしい。。

どうです?おいしそうでしょ♥

ペルーで初めてお目にかかった飲み物、Inca Kola。おいしかったのでおすすめ!

 旅行していて分かったことなのですが、ペルーはチリと比べて本当に本当に食事がおいしかったです。高級レストランに限らず安くてもおいしかったので地域の問題でしょう。後から聞いたお話ですが、ペルーには金鉱があったので大航海時代・植民地時代などスペインから裕福で地位の高い人が多く来たため、料理もおいしいようです。なんと。チリには金はなかったのでそういうわけにはいかなかったのだとか。 今ではチリの方がお金持ちですし進んでいますが…
ペルーからチリに移住する人もいるので近頃はペルー料理店も増えているようです。

遅めのお昼を食べた後は歩いて30分くらいのMilaflores区の方に民芸品市場があるとのことだったのでお散歩しながらそちらの方向へ。途中で公園があったのでその中を通って行きました。公園もきれいでこれならリマの方がご飯おいしいしいいじゃない!って思ってみたり。
ちなみに途中に日本食材店もありました。店内では3年前くらいの紅白がなぜか流されていました。なぜ?笑




公園の中

民芸品市場 Inca Market 品揃えもそれなり。

 夕方は私の友人(ペルー人です)がリマに住んでいたので再会すべくみんなでご飯へ(^^) 地元の人がいると頼りになります、やっぱり。Milafloresにある繁華街のモールのレストランへ。タクシーは1台に乗りきらないということで、私とKeegoは彼女とともにバスへ。はからずもこちらの公的交通機関を体験することに!サンティアゴはバスには路線番号が表示してあるので一目でどのバスがどこを通っていくのか分かるのですが、リマではバスの乗降口に立っている係の人に聞かないとそのバスがどこへ向かうのかわからないようです。サンティアゴは比較的公共交通機関は整備されていると思います。

夕食は彼女のおすすめのペルー料理を注文。どれもおいしかったです!



みんなが持っているのはChichamoradaという紫トウモロコシのジュース。

何度目か分からないですがペルーはほんと料理がおいしい…

連れて行ってくれた友人と。6年ぶりという気はしなかったですw


ペルーも海に面しているので海鮮料理が多いようです。(チリはこんなに海岸線長いのに肉の方が多いような…笑) セビーチェが特におすすめらしいです。
リマは何もないと聞いていたけれどとても快適な街だったのでそれならもうちょっといればよかったとちょっと後悔…笑 

旅行したりはしていますがチリ組も別に遊びまわっているわけではないです…よ! 旅行は夏休みがない分ということにさせていただいています。

旅行のほかの日程についてはほかの子が書いてくれると思いますのでこうご期待!笑

2014年8月18日月曜日

ペルーボリビア旅行!(マチュピチュ編)

お久しぶりです、ポパイです。

14日のプレゼン準備のため、しばらく更新できずじまいでいました。
すみません。

今回は、Keego が書いてくれたように、7月中旬から下旬に行ったペルーボリビア旅行のうち、私はマチュピチュについて書こうと思います!


マチュピチュ村までの道のり

まず、最初に説明しておかなければいけないことは、実はマチュピチュ遺跡まで行こうと思っても、「マチュピチュ遺跡まで飛行機でひとっ飛び!」という訳にはいかないということです。

マチュピチュ遺跡に行くためには、マチュピチュ村という村からバスで遺跡に向かうしかありません。

そして、そのマチュピチュ村まで行くためには、ペルーのポロイという町かオリャイタイタンボという町から、鉄道に乗る必要があります。

行きと帰りに違う町に行こうと思い、行きはオリャイタイタンボ、帰りはポロイを経由することにしました。

それでは、以前Keego が紹介してくれたオリャイタイタンボからマチュピチュ村までの道のりについて、これから説明します。

オリャイタイタンボから乗る鉄道は、インカレイルとペルーレイルという2つの会社のものが主で、私たちはペルーレイルの鉄道に乗りました。

その鉄道には3つのランクがあり、値段の高いものから順に、Hiram Bingham, Vistadome, Expedition となっています。

今回のマチュピチュ旅行を計画し始めたときは、「せっかくの旅行なので、どうせだったらいいものに乗ろう!」とか思ったのですが、一番値段の高いHiram Bingham は、地球の歩き方によると、ポロイ駅から片道US$438-452という超高額…!

さすがに手が出ませんで笑、最も観光客に人気の種類であるVistadome に乗ることに決めました。

時期によって値段が少々異なるようですが、今回はオリャイタイタンボからの往路はUS$60、ポロイまでの復路はUS$106でした(それでも少々高いですが笑)。

乗車にあたっては、チケットを見せると、ペルー人の乗務員さんに「○○さんですね?△△番の席になります。」と日本語で言われたのには驚きました。

前に並んでいらっしゃったお客さんも日本人の方々で、マチュピチュは日本人に人気の観光スポットなのだと実感しました。

PERURAIL の Vistadome


Beautiful(?) Japanese girls on the train

Vistadome には、天井にも窓がついていて、非常に眺めがよかったです。

天井にも窓が

Vistadome の旅は非常に快適で、軽食も出てきました(ただ、ポロイよりマチュピチュ村に近いオリャイタイタンボからの鉄道だと、軽食は本当にサンドイッチだけ、といった感じでしたが…笑)。

車窓からの美しい景色を眺めながら、無事マチュピチュ村に着きました!


マチュピチュ村を出発!

マチュピチュ村には夕方に到着し、着いた当日はそのままホテルに直行しました。

翌朝は早朝に朝食を食べ、マチュピチュ遺跡へ向かうバスが停まるバス停へと向かいましたが、すごい行列でした。

人、人、人、、、

準備万端、Let's go!!

行列の割には思ったよりバスに乗るまでに時間はかからず、クネクネした山道に揺られながら、マチュピチュ遺跡に到着しました!


マチュピチュ遺跡

空中都市、もしくは失われた都市と呼ばれるマチュピチュは、言葉では表しきれないほど雄大で、幻想的な空間でした。

英語のガイドさんを頼んでいたので、そのガイドさんからの説明を聞きながら、およそ2時間半ほどかけてマチュピチュ遺跡を見学しました。

入り口近くから見たマチュピチュ遺跡

段々畑

作業小屋

見張り小屋
整えられた石造り

ガイドさんからは、いろいろなお話を聞くことができました。

例えば、みなさんはリャマとアルパカの違いをご存知ですか?

見た目の違いももちろんあるのですが、こちらが驚いたのは、リャマは生えている草の表層部分のみを食べるのに対し、アルパカは生えている草を根こそぎ食べるという違いです。

また、アルパカの毛は質が良いため、セーターやマフラーなどに利用されます(特にベイビーアルパカのマフラーは肌触りが抜群です!)が、リャマの毛はそのようなものに利用されることはないそうです。

リャマとアルパカ

また、もちろんインカ帝国に関する歴史的なお話もたくさん教えていただきました。

インカ帝国においては、コンドル、ピューマ、ヘビは神聖な動物であり、特にコンドルは不死の象徴とされているということや、スペイン軍がインカ帝国の都市を次々と滅ぼしていく中、標高約2,400m に作られたマチュピチュはスペイン軍に見つからずに済み、1911年にHiram Bingham によって発見されたということなど、興味深いお話を伺えました。

お気づきになった方もいらっしゃると思いますが、マチュピチュを最初に発見した人の名前をとって、先ほどの最高級の鉄道の名前が付けられたのです!

世界史は高校のときに少し勉強したくらいでしたので、ガイドさんの説明を聞いていて、自分の知識の浅さになんだか悲しくなりました。

日本に帰ったら、是非とも教養を深める本を買って読みたいと思います…。


マチュピチュ山

ガイドさんによるマチュピチュ遺跡見学ツアーが終わると、いよいよマチュピチュ山の登山です!

マチュピチュの観光で有名な山というのは、実はマチュピチュ山ではなくワイナピチュという山なのですが、そのワイナピチュに入るためのチケットが一ヶ月前から売り切れていたので、代わりにマチュピチュ山へのチケットを購入しました。

マチュピチュ山という山は隠れ絶景スポットで、山頂からはかなりよい眺めが見えるとのこと。

期待が高まります。

さて、看板が見えてきました。ここからマチュピチュ山への入り口に向かいます。

看板 (Montana Machupicchu へ!)

入り口では、名前と登山開始時刻などを記入しなくてはいけません。

ガイドさんから伺った話ですが、登山者に事故があったかどうかがわかるように、ワイナピチュでもマチュピチュ山でも、今では必ず「サインイン・サインアウト」の仕組みをとっているそうです。

Sign in

ワイナピチュよりマチュピチュ山の方が険しい道が少ないと聞いていましたが、実際はそこそこきつい道も多く笑、途中で休み休みしながらでしか行けませんでした。

行きは2時間、帰りは1時間半ほどかかりました。

険しい道のりを登るonちゃん
途中で休憩

いつの間にマチュピチュ遺跡が小さく見えている…!

向かいに見えている山がワイナピチュですが、これは標高2,690m で、「若い峰」を意味します。

対して、自分たちが登ったマチュピチュ山は標高2,940m で、「老いた峰」を意味するらしいです。

途中ですれ違う登山客に「あと45分だよ!」とか「ここからどんどん道が楽になるよ!」と言われましたが、平気でそこから90分くらいかかりましたし、道は全く楽になりませんでした笑

さて、いよいよ山頂が見えてきました!

山頂まであと少し!

山頂に着くと、本当に360度絶景が広がっていました!!

山頂!

とても小さく見えるマチュピチュ遺跡とワイナピチュ
そびえ立つ山々

山頂からの絶景を堪能し、帰路につきました。

個人的な感想ですが、山登りは下りがきついですね (^^;)

山登りが終わってまたマチュピチュ遺跡を見ようかとも思ったのですが、クタクタだったので、皆で帰りました笑

村に着いたら、事前に調べてあった美味しいレストランで食事をし、マチュピチュを大満足で後にすることができました!

 レストラン Indio Feliz での美味しいお食事 



次回は、そろそろ真面目に研究内容の紹介をしようかなと思います…!笑

ではでは!

ポパイ

2014年8月11日月曜日

サンボルハ病院内視鏡贈呈記念式典

今週の木曜は中間発表のプレゼンです。10分におさまるのか非常に不安です…
医科歯科から教授陣がお見えになるのでかなり緊張します… 
ブログ書いている場合かどうか、というのは突っ込まないでくださいww

というのはさておき…
今回はだいぶ真面目な内容です。なんといってもあの昭恵夫人とお目にかかれたんです!!

だいぶ日にちは遡りますが、7月30日にサンボルハ病院に日本のODA、草の根・人間の安全保障無償資金協力による内視鏡寄付の記念式典が行われました。
サンボルハ病院は旧市街に位置する病院で公立病院の一つです。公立病院と私立病院の差異については以前に何度も出てきているかと思います。もしかしたらチリ大付属病院よりはきれいかも。笑 外見はこんな感じ。(Google先生からもらってきた画像ですがw)


この病院に日本から無償寄付として内視鏡が寄付されました。寄付されたのは2013年のことですが、10年ぶりの日本国首相の訪智に合わせ、記念式典がおこなわれました。式典には病院関係者や医科歯科大関係者、大使館関係者、そして安倍昭恵夫人がご出席なさいました。

今までテレビの画面の中の方でしかなかった日本のVIPに実際にお目にかかれた私たちは相当幸運なんだと思います。
調べてみたら、この内視鏡寄贈以外にも色々な支援がなされていました。教育研究、医療保健が主な分野のようですが、ほかにも農林水産など日本が秀でている分野において無償寄付が行われているようです。地球の反対側のこの国の発展に、微力ながらも多岐分野に渡り自分の国が貢献していることを嬉しく思いました。

確かに医療技術という意味でこの国は遅れをとっているとは思います。日本の医師に教えてもらったことがしっかり実践できていない部分もなきにしもあらずのようです。医療従事者のレベルも向上させる必要があるのでしょう。医科歯科大の日本人医師をはじめとする先進国の医師による現地指導や、このような寄付が現地の医療の向上につながることを願います…。



このあとは、先生方と日本料理のお店に行ってきました!!おいしかったです。日本食ってやっぱり幸せですね♥♥♥ 日本に帰ったら堪能したいです。暑い夏はあまり好きではないけれどやはり日本の便利さと秩序と日本の食べ物のおいしさが恋しい日々です。
そして昭恵夫人はとっても美脚でした…!!笑 うらやましいw



2014年8月1日金曜日

ペルーボリビア旅行!(オリャンタイタンボ編)

ご無沙汰しています。Keegoです。

私たちは研究室からお休みを頂き、約一週間の旅行を楽しんできました!


旅程を大まかに説明すると

リマ→クスコ→オリャンタイタンボ→マチュピチュ村&マチュピチュの遺跡→クスコ→プーノ(ティティカカ湖)→ラパス

という流れになります。
プーノまでがペルーで、その後国境を越えてボリビアのラパスに入りました。

チリ組の各自が印象に残ったところをブログに書こう!ということになりましたので、私はオリャンタイタンボについて書こうと思います!

■インカとオリャンタイタンボの話

今回の旅行のメインはマチュピチュであり、マチュピチュはインカの遺跡なのですが
「あれ?インカってどんな文明だっけ?」と自分の知識の乏しさに気付いた私。

『インカ帝国探検記―ある文化の滅亡の歴史』という本をkindleでポチり、付け焼刃の知識を頼りに旅行へ出発したのでした。でも読んどいで良かった。オススメです


クスコという都市の近郊からマチュピチュまでは電車が走っており、その途中にオリャンタイタンボという村と、同名の遺跡があります。

クスコはかつてのインカの都でしたが、スペイン人によって占領されてしまいます。クスコを逃れたインカの軍隊が立てこもったのがオリャンタイタンボでした。
ここでは地の利もありスペイン人を撃退したのですが、スペイン人の再攻撃を受ける前にインカの人々はここを放棄し、さらに山奥に逃れたとのことです。

そんな経緯を知り、とても楽しみにしていたオリャンタイタンボの遺跡。
タンボとは宿場の意味だとのいうことですが、砦や宗教施設の役割も持っていたと言われているそうです。
ただ宿場を作るだけなら平地に作ればよいはずであり、山の上に作ったということはやはりそういった役割も重視していたのではと思わせます。

遺跡は駅から村の広場までの途中にありました。




段々畑らしき構造物が正面に見えます。でかい!

しかしここで、(他の遺跡との周遊入場券とはいえ)、入場料が70ソル(約2800円!!)すると判明。
なかなか強気のお値段ですが…これを逃したらたぶん二度と来られないでしょう。寄付をしたと思って入場券を買いました。



コの字形になっていて、左右はせり出した崖、正面には段々畑が15段ほど続き、その上はさらに数段、砦のようなつくりになっています。
スペイン人により破壊されてしまったのが残念ですが、それでも倉庫のような建物や壁がところどころ残っており、剃刀の刃も通さないと言われるインカの石積みも見ることができます。





息を切らしながら段々畑の上まで来ました。巨大な石が6個も並んでいます。恐らく神殿の跡とのことで、ガイドブックやネットの情報によると高さ4m、重さは50~80トンだそうです。大阪城で重さ100トン以上と言われる石を見たことがありますが、ここの石もなかなかすごい。何よりどうやって段々畑の上まで運んできたのでしょうか…




良く見るとさらに上があります…



壮大な遺跡でした。これほどの砦を放棄したなんてもったいないという気がしてしまいます。

マチュピチュと違って観光客は少ないためどこかもの寂しいです。

歴史上、インカは長らくクスコ周辺にとどまる勢力でしたが、15世紀頃、戦争や巧みな外交により急速に支配地域を拡大して南北アメリカ大陸随一の帝国となったそうです。そして、インカが最盛期を迎えた時にスペイン人の侵入が始まったということです。盛者必衰の理をしみじみと感じました。